悠悠自適なチネカルライフ

映画、音楽、美術鑑賞とあれこれ

映画『TAR/ター』レビュー第二弾!! 他人をどう評価するか。

やっほー。こんにちは、KEYです。

今日は前回に引き続き、映画『TAR/ター』のネタバレレビューを書いていきたいと思います。

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前回は映画のストーリーに大きく関わるターと元生徒クリスタとの関係性について書きました。

kei00213.hatenadiary.com

今回の記事では、ターとのクリスタとの一件を踏まえて、ターの人間性について考えていきたいと思います。

ターを人としてどう評価するか

そもそも今作は主人公ターによるハラスメントを描いており、基本的にターにヘイトが向くように作られていると思います。

前回の記事で書いたクリスタとの一件は、物語の出来事として事実あります。

例え意図しなくても、人を自殺に追い込んで許されるはずがありません。

しかも、今作でターが謝罪することは一度もありません。

だから僕は、ターがどんなに素晴らしい作品を今後作ったとしても、ターを好意的に評価できる気がしません。

長回しバッハ講義シーンをみんなはどう見る?

映画では様々なエピソードでターの人物像が描かれていきますが、中でも印象的だったのが、「差別的な時代に生きたバッハが嫌いだから聴かない」と言った生徒に対して、自分の幅広い知識を使って論破するシーン。

youtu.be

映画ではこの講義の映像が盗撮され、ネットで拡散され、大炎上し、ターが落ちていくきっかけにもなっています。

クラシックを学ぶものとして、バッハを個人の価値観で判断して聴かないのは確かに勿体ないことなのかもしれませんが、このシーンで描かれているターの接し方は自分は好きになれませんでした。

例え議論として正しくても、個人の価値観を尊重できない話し方は、自分は好ましくありません。

僕は大学に通っていないのでわかりませんが、TARで描かれている講師と生徒との距離は物理的にも精神的にも近いものがあったので、自分としてはそれもあまり良くない環境だと思いました。

終わりに

結構長くなってしまったけど書きたいことは書けたので良かったです。またブログで長文レビュー書きたいと思えるような作品と出会えたらいいな。

あと全然関係ないけど、近々福岡の美術館巡りしてくるから、そこの感想も書けたらいいなと思います。またね~。

映画『TAR/ター』を二回観ても興奮がまだ冷めない件

こんにちは~。KEYです。ブログは全然更新していないけど、twitterツイキャスの方では楽しく過ごしております。良かったら、そちらの方もフォローよろしくお願いします。

さて、絶賛今公開中の映画『TAR/ター』は皆さんご覧になられたでしょうか?

ケイト・ブランシェットが演じる最高権力を持った指揮者が、地位を利用して様々なハラスメントを行っていた。という話なのですが、音楽的な側面を知らない自分でもとても楽しめたので、「指揮者の話か~。。。」とか思わずに、観てない方が居たら是非観に行ってほしいです。

ちなみに個人的に、2023年映画ベストトップです。笑

以下のレビューは、ネタバレを含みます。

あらすじ

リディア・ターはベルリン・フィルハーモニー管弦楽団における女性初の首席指揮者であり、作曲家としても指揮者としても当代随一だと評価されていた。しかし、リディアはその地位によって得た権力を使い、若い女性音楽家に肉体関係を迫るなどのハラスメントを行っていた。リディアの妻、シャロンをはじめ周囲の人物は見て見ぬふりをしていたが、被害者の1人が自殺したことをきっかけに、リディアの蛮行を告発しようという動きが出てきた。キャリアの危機を前にして、リディアは徐々に精神の平衡を失い始める。

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感想

リディア・ターについて、彼女はなぜ転落してしまったか。

まず、物語の起点となっているのが、ターと元生徒のクリスタとの関係です。

序盤から元生徒とのトラブルをほのめかす会話があり、それが徐々に劇中登場しないクリスタという生徒との関係だったことが分かっていきます。

ターとクリスタの関係性

時系列順に書いていきたいと思います。

物語中盤で、マネージャーのフランチェスカを通して、クリスタが自殺してしまったことがターに知らされます。

ここのシーン。フランチェスカが泣きながらターに「実は来たのは鍵だけのことじゃなくて。。抱きしめてほしいの。。」と言うのに対して、ターは「ここは仕事部屋よ。」と言います。

自分はこのシーンを観て、寝室だったらOKなん?つまり、そういうこと?と思ったのですが、、

冒頭の飛行機の中でのメールのシーンは、恐らくフランチェスカ視点によるもので、話し相手から「まだ愛しているのね」と言われることからも、フランチェスカとターが恋愛関係にあることは間違いなさそうです。

そして、同シーン(自殺してしまったことがわかる)で、ター、フランチェスカ、クリスタの三人で旅行に行ったエピソードも出てきて、三人が仲が良かったことがわかります。

「あの頃はまだ彼女(クリスタ)は要求してこなかった。」

とターは言います。

その後、ターは自分が各音楽団体に送った、「クリスタが情緒不安定だから指揮者として向いていない」というメールを削除していきます。

このシーン、本当に一瞬なので自分はあれは受信リストで、ターがメールを受け取った側だと思っていたのですが、逆なんですよね。

つまり、ことの顛末はこうです。非常にグロテスクな話なのですが。。

クリスタとフランチェスカはターの生徒で、三人で旅行に行くほど仲が良かった。

しかし、フランチェスカはターと(恐らく)肉体関係、恋人としての関係を持つようになり、ターのマネージャーとしてのポジションを獲得。後のシーンでは、ターから副指揮者になる未来までほのめかされています。

一方、クリスタはターの要求に応じなかった。だから、他のオーケストラでも指揮者になる夢を絶たれてしまったのです。

しかも、これは余談ですが、ターは映画で描かれている物語以前に、性的思考のカミングアウトをしたり、女性限定の講義を開いているのですが、三人の関係性を知ってから考えると、出会い目的じゃないの?と思ってしまいます。笑

とにかく、本作でターの人間性を語る上で、上に記した通り、権力を利用して未来の可能性を持つ若き指揮者(クリスタ)を自殺に追い込んだ事実には目を向けなければばりません。

はい。笑

急ですが今日はこれくらいにして、続きは後日また書けたらなと思います。笑

またね。

みんな、ドラマ『ホワイト・ロータス』を見て何を思うんだろう。

こんばんは!久しぶりに長文のレビューを書いてみたくて投稿してます!

最近またtwitterや他のsns諸々を使うようになったので、そちらとも連携して記事を読んでくれる方と仲良くできたらなと思っています。

『ホワイト・ロータス』を見たよ!

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余談が長くなってもあれなので、早速本題へ。

前から気になっていたドラマ『ホワイト・ロータス』のs1をやっと見終わりました!

ストーリーは、とあるリゾートホテル「ホワイト・ロータス」が舞台で、第一話の冒頭ではホテルで死人が出たことが明らかになり、そこから遡ること一週間前から物語本編が始まります。

タイトル『ホワイト・ロータス』は富裕層の白人の隠喩?

第一話では、「ミステリー要素もあるのかな?」なんて思いながら見ていたのですが、ドラマの本筋はサブタイトルにある通り「諸事情だらけ」の話で(笑)、富裕層の差別的な価値観をブラックユーモアとして描いています。

自分は一、二話を観ながら、「『ホワイト・ロータス』って富裕層の白人の隠喩だったのね~」と思ったのですが第六話では「安逸の人々 lotsu eaters」という詩を引用した台詞があります。

「憎らしいのは紺青の空。紺青の海を覆っている。死は人生の終わり。なぜ人生は絶えず苦しいのか。」

色々調べたのですが、恐らくテニスンの詩が元ネタなのかな。

英語「lotus eater」の意味・使い方・読み方 | Weblio英和辞書

Lotus-eatersの意味・使い方・読み方 | Weblio英和辞書

ロートパゴス族 - Wikipedia

ロータスの実を食べた浮世の憂いさを忘れた人々って、このドラマでは富裕層の白人を意味するのだと思います。

劇中の台詞にある詩は、ホテルの支配人アーモンドがスパの支配人ベリンダに話すのですが、ベリンダの身になって考えるとかなり複雑な気持ちになります。。

ネタバレあり!!登場人物別考察。

このドラマは群像劇ということもあり、少しややこしくて頭の中を整理したいので、この場を借りて登場人物別の感想を書いていきたいと思います。

新婚夫婦 レイチェル&シェイン・パットン

正直このドラマで自分が一番感情移入しやすいキャラクターはレイチェルでした。

あまり豊かではない家出身のレイチェルが裕福な家で育った夫との価値観の違いを目の当たりにしていく様子は、ほとんどの視聴者がそうであるように、ドラマの特性としても共感しやすい役だったと思います。

ただ、庶民と富裕層との価値観の違いに共感しつつも、彼女が後に悩まされる夫との”恋愛の価値観”についてはかなり今でも答えが出ずに頭を抱えています。

「一生あなたのトロフィーにはなりたくない」

物語でずっとレイチェルは、シェインにこれからの自分の仕事との付き合い方を相談するのですが、見下すような態度を取られたりして話になりません。

恋愛で対等な関係を維持するのって、どうやったら上手くいくんでしょう。

僕の職場の人間関係では、上下関係は明確にあります。友人ですら小馬鹿にされたりすることもあります。

お互いに尊重し合える関係って、かなり特殊な気がします。

モスバッハー1家とポーラ

物語で1番の団体客がモスバッハー1家とポーラです。

彼らで描かれていることも結局、恋人とのパワーバランス、根幹にある差別や偏見です。

特にポーラとリゾート地で出会ったカイとのエピソードが印象的でした。

リゾートが立つ前から住んでいた原住民のカイに同情し、自分のネックレスも含めたアクセサリーを金庫から盗むように計画するのですが。。

正直自分にはそれがカイの為になるのか疑問でした。

仮にカイの為になったとしても、それは個人の変化であって、社会構造にはなんの変化もありません。

ポーラに関してもっと言うなら、僕は友人の家族と一緒に旅行とか気を使いすぎて無理なので、彼女が終始見せる孤独そうな気まづそうな表情は、モスバッハー家の差別的な価値観を見ても、他人の家族旅行に着いて行ったらこうなるよねって思ってしまいます。

ベリンダとタニヤ・マックウォイド

母親の遺骨を海に撒きに来た女性タニヤ・マックヴォイドと、企業の資金援助を持ちかけられるスパの支配人ベリンダです。

一見するとビジネスに私情を挟んではいけない失敗例のようにも見える関係性でしたが、藁にもすがる思いでタニヤを頼ったベリンダの気持ちを思うと複雑です。

「憎らしいのは紺青の空。紺青の海を覆っている。死は人生の終わり。なぜ人生は絶えず苦しいのか。」

この詩は二人の関係が終わった後にホテルの支配人アーモンドから聞かされるのですが、紺青の空と紺青の青は、このドラマでは白人中心の社会を表しているのかなと思います。

そして、特にベリンダとアーモンドに言えることですが、2人の顛末は旅行客の人生には何も影響していない虚しさがあります。

 

 

【緊急企画第二弾!!】ネタバレありで『アバター:WoW』を語りつくそう

こんにちは、KEYです。今日もはりきって、『アバター:WoW』について書いていきたいと思います。何回に分けて書くかは、今のところ未定です。

前回の記事を読んでない方は、こちらからどうぞ。

 

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【注意】この記事では物語の結末に触れることはありませんが、登場するキャラクターや物語の世界観について掘り下げていくつもりです。ネタバレを気にする方は、くれぐれもご注意ください。🙇

アバターの意味(続き)

前回の記事は、今作に登場する遠隔操作を必要としない人間/ナヴィのハイブリット「リコン」を紹介して終わりました。

映画をまだ見ていない方が読むと、聞きなれない言葉の紹介でうんざりするかもしれませんが、そもそも「アバター」と「リコン」の違いは遠隔操作が必要かどうかくらいのものだと思います。

それよりも僕がここで抑えておきたいのは、前作の宿敵マイルズ・クオリッチがリコン化されたことです。

クオリッチ大佐の自我/アイデンティティとは

前作で主人公ジェイク・サリーはナヴィのアバターになり、実生活で歩けないこともあり好意的に原住民ナヴィの言葉や文化を学んでいきます。ここで対照的に描かれていたのがクオリッチ大佐で、原住民を毛嫌いし、追い払うために軍事的な強硬策に出ます。

しかし今作では、前作で死亡したそのクオリッチ大佐の遺伝子を使い、生産されたリコンとして彼が存在します。

彼の過去の記憶が埋め込まれているので、今作でもジェイク・サリーを敵対視するわけですが、ここで実際どこまでがクオリッチ大佐の人格で、ナヴィとしての自我のようなものはないのか疑問に思いませんか?

つまり、人格は人間だとしてもほとんどナヴィの姿で、ナヴィの生活を破壊し続ける彼に矛盾を感じるのです。

生命としての普遍性/多様性

クオリッチ大佐の複雑な人格は、ナヴィと人間との違いや共通項をあえて考えさせるための起点のようなものだと僕は思っています。今作では他にも、ナヴィの部族間やアバターとナヴィ、混血など様々な違いが描かれています。

これはちょっとした豆知識ですが、劇中に登場するタルカン捕獲用の潜水艦はカニをモデルに作られ、クモのような建築ロボットにはAIが搭載され集団で効率よく働くように機能しているらしいです。

このように、様々な種族や文化、思考を描くことによって、生命とは何かについて考えさせるきっかけを作ってくれているのかもしれません。

終わりに

ここまで読んでくれた方はありがとうございました。明日はヒューマンドラマならぬナヴィドラマとしての『アバター:WoW』、キャラクターについて書けたらなと思っています。自分の書きたかったことは今日だいたい書けたので、個人的には満足しています。笑

ブログのモチベーションに繋がるので、コメントやスター☆も気軽にしていってくださーい。

 

【緊急!!】ネタバレありで『アバター:WoW』を語りつくそう

こんにちはKEYです。やっぱり平日仕事を終えてからの投稿が結構きついのですが、無理せず投稿出来たらなと思っています。

今日は先週12/16に公開された映画『アバター:WoW』についての記事、第二弾となります。

 

kei00213.hatenadiary.com

前回の記事では結局否定的な内容しか書けていなかったのですが、今回は新しく登場するユニークなキャラクターや世界観から気づかされたこと、今後の展開についてまで、考察を交えながら書けたらなと思います。

【注意】この記事では物語の結末に触れることはありませんが、登場するキャラクターや物語の世界観について掘り下げていくつもりです。ネタバレを気にする方は、くれぐれもご注意ください。🙇

アバター」とは何か

「『アバター』とは何か」を考えるときに、まずは言葉本来の意味を考えるよりも先に前作の物語を思い出してみましょう。

主人公のジェイク・サリーは兄の遺伝子によって作られた原住民ナヴィのアバターを、特殊な装置を使って遠隔操作します。

まさにこの仕組み自体がタイトルの「アバター」そのものだと思うのですが、今作はどうでしょう。

主人公のジェイク・サリーは前作のラストで、エイワ(惑星パンドラのエネルギー源)の力によって、魂をナヴィの体に移します。

そしてナヴィとして暮らし、家族を持ち、今作では前作から十年後の世界が舞台になるわけですが、ここで前作で死んだはずの宿敵マイルズ・クオリッチの記憶を引き継いだアバターのように遠隔操作しないでいい人間とナヴィのハイブリッド「リコン」が登場するのです。

嘘から始まるクリスマス映画『SMOKE』

こんにちは、KEYです。僕は一緒に過ごす相手もいないのでクリスマスの予定は無いのですが、今年どうしても見たい映画がありました。『Smoke』です。

映画『Smoke』

物語は、あるタバコ屋を中心に描かれる群像劇です。とても暖かみのある物語なのですが、二度目の観賞だからかブログを書きながら理屈っぽく考えてしまっている自分にうんざりします。

というのも、今作はたくさんの「嘘」から構成された物語で、それが映画やフィクションの物語の本質を描いているものだと思うからです。映画のラストを飾るタバコ屋の店主がクリスマスのエピソードを語るシーンが、今作のまとめの様なものでしょう。

一通り話した後に、聞き手の小説家の友人が「お前は嘘がうまいな」と笑い、種明かしのような回想シーンが流れます。

奇跡

劇中には奇跡のような出来事が散りばめられています。幼いころに離れ離れになった実の父親との再会、ギャングが落とした5000ドルを拾い逃げ切り、自分の失敗で大金を無駄にしてしまうも拾った5000ドルで解決。全てがうまくいきます。

ここだけ書くとありえないような話ですが、とある町のタバコ屋を中心に「ありそうな話」に落とし込めているのは監督のウェイ・ワンの手腕によるものでしょう。

映画っていいよね。

映画のラストで「秘密を分かち合えない友達なんて、友達といえるか?」「それこそが人生の価値だ。」という台詞がありますが、正直僕はこの台詞の真意を掴めていません。

自分なりに考察するなら、台詞にしなくても映像で語る、語られなくても想像し、余韻に浸る。一人で考える人、ネットに感想を投稿する人、友達と話し合う人、様々いらっしゃると思いますが、全ての時間への愛、物語への愛が込められていると思いました。

映画『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』の期待値を敢えて下げておきたい

こんばんは、KEYです。昨日は遅くまで起きていたこともあり今日は起きたのが15時とかだったので、足早に支度をして今話題の映画『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』を観てきました。

 

感想

結論から書きますと、僕の期待値は上回りませんでした。映画の感想であまりネガティヴなことは書きたくないのですが、今作は単体で見ると物語として明らかに盛り上がりに欠けます。人類側の資源開発者RDAと原住民のナヴィとの争いあう関係性は、一作目と全く変化がありません。

ナヴィドラマへの舵切り

一作目と二作目との違いは、主人公のジェイク・サリーとネイティリに四人の子供ができ家族を持ったことです。

この変化からもわかるように、今作ではヒューマンドラマならぬナヴィドラマに間違いなく舵を切っています。

前作もジェイクとネイティリに恋愛要素があったり、ジェイクの人間としての心境の変化や成長が見られるドラマとしての楽しみがありましたが、まだ一作目なのでナヴィと人間との関係性にも新鮮味がありそもそもパンドラの世界観が初めてのものだったので楽しめた方も多かったと思います。

しかし今作では、世界観や登場人物は勿論前作を引き継いでいるので新鮮味はありません。新しいユニークなキャラクターもたくさん出てきますが、物語の軸は人間とナヴィとの争いなので、そこに変化がない限りは楽しめないと思います。

まとめ

「一つ一つはそれぞれ独立した作品として、ストーリーは完結して、人々の心をつかみます。でも、5作全部を観ていただければ、もっと壮大なサーガとして感じてもらえます」

プロデューサーのジョン・ランドーはこう仰っているようですが、単体で楽しめなかった僕は不安しかありません。

そもそも僕が2Dで見たので映像的な楽しみがあまりなかったのかもしれませんが、、ひとまずこのシリーズが無事に公開されるのか情報を追っていきたいと思います。