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映画『ハロウィン(2018)』の感想。

こんにちは、KI(@kei00213) です。今日は公開中の新作映画を、個人的な感想を交えながら紹介していきたいと思います。(※このブログはネタバレありのブログではありませんが、前情報なしで観たい方は、閲覧をご遠慮ください。)

ホラー映画の金字塔『ハロウィン』40年ぶりに復活。

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今日は地元の映画館、宮崎キネマ館さんで、公開中の映画『ハロウィン(2018)』を観てきたので、その紹介をしていきたいと思います。

あらすじ

第1作から40年後、殺人鬼マイケル・マイヤーズが、精神病棟から強固な刑務所に搬送される途中に脱走した。

過去の事件がトラウマになっていたローリーは、疎遠になっていた娘カレンと孫アリソンを守るために闘う。

今作は、40年前の映画『ハロウィン』の直接的な続編となる作品なんですね。「40年も前の映画の続編今更作るのかよ…」と、言いたくなる気持ちもわかります!自分も名監督ジョン・カーペンターの作品とはいえ観ていなかったので、今回は予習せずにシリーズ初見で今作を観てきました。そこで次のタイトルに入ります。

実際、予習しなくても楽しめるの?

結論から言わせてもらいますと、今作は予習しなくても十分に楽しめます!

自分も観る前は不安で、Twitterで聞いたりしていたんですが、全く問題ありませんでした。ただ、観る前に抑えておいて欲しい要点1つだけあります。

一作目の『ハロウィン』の被害者、ローリーが今作のキーパーソン

あらすじにも書いてますが、今作で脱走した「ブギーマン」こと、マイケル・マイヤーズと決死の覚悟で戦うのが、40年前の前作の被害者ローリーです。

このローリーの家族が今作の主要人物であり、今作が『ハロウィン』の続編である象徴として、前作で演じたジェイミー・リー・カーティスが続投しています。

自分は今作観賞後に前作『ハロウィン(1978)』を観て確認しましたが、他には小ネタやオマージュがあるくらいでした。

『ハロウィン(1978)』と『ハロウィン(2018)』を比較してみる。

ここからは少し掘り下げて、書いていきたいと思います。そもそも今作は「続編」と言われながら、何故ここまで前作との繋がりが浅いのでしょう?

『ハロウィン(78)』の謎

『ハロウィン(1978)』は、マイケル・マイヤーズが6才で姉を殺し精神病院に入れられ、15年後に病院から脱走してハロウィンの夜に殺人を犯す話ですが、肝心の〝動機〟が描かれていません。

なぜ姉を殺したのか、なぜ殺人を繰り返すのかは全く説明されずにラストを迎えます。

そこで僕は、今作は敢えて描かずに犯行の動機の重要性を強調したのではないかと考察しました。ですがこれは、『ハロウィン(18)』から観たからそう考えられるとも言えます。

『ハロウィン(18)』のローリー

今作『ハロウィン(18)』でも登場した、シリーズの象徴的なキャラクターのローリーですが、「なんか、やたら強くなってない?笑」って思いませんでした?いや、決して冗談で言ってるわけではないんですよ。観た方はわかると思うんですが、徹底してゴアシーンが続くマイケルに対して、ローリーは対等になるくらい反撃してくるんです。で、同じくらいか、あるいはそれ以上にマイケルを痛めつけるのを観ていて、観客は「これって、どっちが被害者なの?」って思うようになるんです。

『ハロウィン(18)』は、『ハロウィン(78)』のアンサー的な映画

このシリーズでは前提で、理解されない他者の存在があります。一番代表的な存在がマイケルで、『ハロウィン(18)』では同じ存在としてローリーが描かれています。

そこで二人の中で決定的に違うのは、集団に所属しているか、否か?というか点です。

ローリーはマイケルの復活をきっかけに家族に理解されますが、マイケルはそもそも誰とも議論を求めていないので、40年間殺人に対する考えが変わらずに今作に至っています。

これはローリーや他の登場人物にも通ずることであって、一貫して孤立=と表現しています。その解決策が議論や対話で互いの理解を深めることではないかと僕は思いました。

また今作はマイケルを徹底的に追い詰める凶器として銃が用いられますが、これはアメリカの銃社会における銃肯定派とも重ねて捉えられるのではないでしょうか。娘にずっと忠告し続けていたのに無視されていたローリーは、事件が起きてやっと理解されます。今作は利己的に考えるが故に雑に消費される関係性を見直さないかと、私たちにに問いかけているのかもしれません。

まとめ

ここまで堅苦しいことを散々書いてきましたが、これだけ社会派の側面が丁寧に描かれているのにも関わらず、ゴアシーンもありしっかり「怖い」と感じさせてくれるホラー映画として作られています。今作のデヴィッド・ゴードン・グリーン監督の映画『ボストン ストロング ダメな僕だから英雄になれた』では、「ボストンマラソン爆弾テロ事件」の非常に残酷なテロシーンを交えて、感動的なエピソードとして作られていましたが、そのゴアシーンのバランスの良さこそ、同監督の凄みであると感じました。

今回も長文になってしまいましたが、ここまで読んでくれた方はありがとうございます。ではまた。