悠悠自適なチネカルライフ

映画、音楽、美術鑑賞とあれこれ

映画『ジョーカー』の話

前書き

こんにちはの方はこんにちは、こんばんはの方はこんばんは。元気でお過ごしでしょうか。10月に入ってからあっという間に半月経ち、その間様々なことがありましたが、皆さん『ジョーカー』のこと忘れてませんよね??Twitterでは公開初日や初週に観る方がほとんどで、(自分も公開2日目に観に行ったので)当日の盛り上がりと比べると今は少し寂しく、自分だけ置いてけぼりにされている様な、そんな気持ちでいます。

と言うのも自分は、未だにこの映画に対して感情の整理がついていません。結局複数の疑問が残ったまま今に至っていて、話す相手が周りにいるわけでもないので、今回ここで纏めたいと思います。

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あらすじ

今作は、バットマン、新しい映画だと『ダークナイト (08)』に登場したヴィラン、「ジョーカー」誕生の物語です。

舞台となるのは80年代のゴッサムシティで、アーサー・フレックは、派遣のピエロとして働きながら年老いた母の面倒を見て暮らしていました。孤独なアーサーの夢はコメディアンとして成功することでしたが、感情に関係なく笑ってしまう持病のせいで社会生活にも困難を抱えていました。 ある日アーサーは、看板持ちの仕事中に不良少年たちから暴行を受けたあげく、預かり物の看板も壊されてしまい、弁償させられるはめに。この些細な不幸をきっかけに、彼の人生は大きく変わっていきますーー。

〝不幸〟ネガティブなシーンの描き方

今作は全編主人公アーサー視点で描いていて、他者の視点が極端に省かれています。例えば序盤の同僚から良心で銃を貰い病院で落としてしまうエピソードでは、失敗続きのアーサーを見兼ねて同僚は銃を渡し、上司はアーサーをクビにしました。アーサーの主観で考えると辛い状況であることには違いないですが、客観的に見てどちらの気持ちも理解できます。

またオリジンエピソードとして核心に迫る、母親とウェイン家の関係の真実に関しても、同じことが言えます。

他のどの登場人物の発言も酷いものばかりでしたが、現実問題自分に対する悪口を聞き流すスキルも必要。またアーサーが積極的に人と関わろうと努力しているようにも見えなかったので、全て自分に優しくない社会が悪いと言われてるようで、ただのわがままにしか感じませんでした。ただそうなるのも、精神的に不安定だったのが原因で、その中には社会的な要因も個人的な要因もあります。なのに今作では、あたかも周りが悪いかのようにアーサー以外のキャラクターを悪く描いています。

個人的にはキャラクターとしてバットマンが好きだったので、ウェイン家や執事のアルフレッドを悪く描いているのがショックで怒りさえ感じました。ただ、今冷静になって嫌悪感を抱いているのは、映画自体で社会的少数者とメインストリームにいる側の対立構造を作ってしまっていることです。

まとめ

今作は個人的な要因も背景にあるヴィランが、「俺のバックグラウンドには社会問題があるんだぜ!」と高らかに声を上げている映画で、監督のトッド・フィリップスはその間違いに気づけるか観客を試しているのでしょう。

しかしそれは議論を呼ぶと同時に、議論にまで達しないで自分よがりな発言を続ける人同士の対立関係を作ってしまう危険性があるのです。現に日本のTwitterでも、ジョーカーに共感した感想を呟く人を馬鹿にしたようなツイートが多くあったらしいです。(実際に自分では一つしか見てませんが)

海外の劇場では入館前にボディチェックが行われるくらい危険視されているらしいですし、それくらい強いエネルギーを持つの作品になってしまっているので、「同じ事を表現するのにもっと良い方法は無かったんか。。。」と思います。

 

 

あとやっぱり既存のキャラクターは使わないで欲しかったな。。